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redcircle’s blog

アニメ等の感想を書きます

【幼女戦記】存在X=喋る転生トラック=作者そのものだ!!というメタ視点

幼女戦記 存在X=作者論

 

フレームの話なのでネタバレ要素はほぼないです。

 

追記(というか言い訳)

幼女戦記小説家になろう掲載時の作者のペンネームが「存在X」だというご指摘を即受けたわけでありますが、まあわかっていた人にはなんの面白みもない記事でしょう…

存在Xのどのへんが作者そのものだというかという視点で読んでください。

 

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© カルロ・ゼンKADOKAWA刊/幼女戦記製作委員会

幼女戦記』はWeb小説原作のアニメです。

これについてメタ視点で感想を書きます。

見ていない人のためにあらすじはざっくりと…異世界転生して戦場で無双する話です。主人公は最前線の戦場でなんとかやっていきます。

 

この物語で僕が気になったのが主人公の転生も受難も「存在X」という神的存在の手によって引き起こされていることです。存在Xは信仰心のない主人公を改心せしめるために世界に介入してきますが、そのふるまいも動機も到底神とは思えない、癇癪を起こした幼稚園児のようなものなんです。その発狂ぶりは冷静沈着で合理主義的な主人公と対極にあるように描かれていると感じました。

 

存在Xは作者のメタファー 

さて、その存在Xですが、神ではなく「作者」のメタファーじゃないかって僕は思いました。これは作者の意図のあるなしに関わらず、そう読み取れるのではないかという話です。3つそう思う理由を挙げておきます。

主人公の敵=作者

1つ目の理由ですが、創作の構造的に、「主人公に困難を与えストーリーを作る存在=作者」という性質があるからです。まあどんなものにも言えてしまうんですが、戦記ものは主人公が苦戦しなければ話が終わってしまいますからね。「主人公補正」で勝つ展開は作者の贔屓があるからです。となれば、困難に直面する「逆主人公補正」も作者の一存で決まっているのです。

あらゆる敵キャラがそういう作者的要素を持っているわけではないです。ただ幼女戦記の存在Xについては、明らかにエゴイズムの塊であり、動機も(信仰心の薄い現代人にとっては)共感不能に設定されており、舞台装置としての役割しか与えられていないので作者そのものと言ってもいいと思いました。

存在X=主人公の裏返し

2つめの理由は、主人公の対極に存在Xが設置されている点です。アマチュア小説においては、「主人公が作者の願望の表れである」という批判があるんですが、僕も基本的にそれには賛成です。『幼女戦記』は主人公が都合良く最強の力を手に入れて勝ちまくるので、これは否めないでしょう。

存在Xが主人公の対極にあるのはその思想信条、主義などからも明確です。つまり、両者はコインの表と裏であり、ご都合主義的な要素を作中で二分しているのです。

存在X=転生トラック

3つめの理由がWeb小説的な予定調和が存在Xだからです。ふつう、ご都合主義展開だったらそれを隠すためにいろいろな理由付けやシチュエーションを考えると思うんですよ。しかしWeb系の異世界転生は転生の理由がトラックだったりするわけです。所謂「転生トラック」のことで、トラックに撥ねられたー(走馬燈)みたいな本筋とは関係のないきっかけで転生するわけです。あらゆる転生パターンが模索されてきたWeb小説では、転生した理由やきっかけみたいなものよりも転生先の世界がどんなか、そこでどうやって生きていくかが重視されるわけです。つまり、トラックこそ作者の一存そのものなんです。だからこそ僕は「トラックこそ作者」だと言いたいですね!

存在Xは意思を持ったトラックなんです。

上でも書きましたが存在Xは舞台装置であり、作者の一存で介入してくる作者そのものなんです。

SS小説らしさ

作者として存在Xが物語に介入してくるという考察をしていてこの有名なSSの締めくくりを思い出しました。

 

23 : 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2012/11/11(日) 20:47:46.11 ID:2TLOe39oO
 
くぅ~疲れましたw これにて完結です!
実は、ネタレスしたら代行の話を持ちかけられたのが始まりでした
本当は話のネタなかったのですが←
ご厚意を無駄にするわけには行かないので流行りのネタで挑んでみた所存ですw
以下、まどか達のみんなへのメッセジをどぞ

まどか「みんな、見てくれてありがとう
ちょっと腹黒なところも見えちゃったけど・・・気にしないでね!」

さやか「いやーありがと!
私のかわいさは二十分に伝わったかな?」

マミ「見てくれたのは嬉しいけどちょっと恥ずかしいわね・・・」

京子「見てくれありがとな!
正直、作中で言った私の気持ちは本当だよ!」

ほむら「・・・ありがと」ファサ

では、

まどか、さやか、マミ、京子、ほむら、俺「皆さんありがとうございました!」


まどか、さやか、マミ、京子、ほむら「って、なんで俺くんが!?
改めまして、ありがとうございました!」

本当の本当に終わり

出典:

くぅ~疲れましたw (くぅつかれました)とは【ピクシブ百科事典】

 

これはSSの終わりに俺くんが出てきてキャラクターと会話するっていう珍妙さが受けて広まっているわけですが、幼女戦記の存在XもこういうSS小説らしいSS小説の影響を受けているのではないかと思います。

メタ視点で評するならこのアニメは作者が直接介入して物語を強制的に動かしていくという構造ですが、「存在X」というトリックスターで全体を正当化しています。僕は上手いなぁと思うわけであります。つまり、ご都合主義でいいじゃない!好きなこと書いてるんだし!っていうフレームが成立しているんです。だから「戦記」という堅苦しい題名がついても、僕は細かいことは気にせずフラットにこのアニメを楽しめていますね。

 

 

 

【禁書】劇場版 エンデュミオンの奇蹟 がぶっとびすぎてて面白かった話

 

【禁書】劇場版 エンデュミオンの奇蹟 がぶっとびすぎてて面白かった話

クソニワカの劇場版の感想です(予防線)

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「劇場版 とある魔術の禁書目録 -エンデュミオンの奇蹟-」大ヒット記念特集!錦織監督インタビュー(その1) | トーキョーアニメニュース – TOKYO ANIME NEWS

当記事の錦織監督の発言は上記の記事からの引用です。

とある魔術の禁書目録』というアニメが2008年くらいにやっていて、クソニワカアニオタだった僕はかなり楽しんで見ていました。二期はその二年後くらいでしたね。それからだいぶ年月が経過してしまったので映画鑑賞態度としては「楽しんで見てた頃の好きなキャラクターがまた見られて嬉しいな」くらい。僕は配信で見たわけですが、2013年劇場公開当時見ていたらまた違った感想になっていたことでしょう。

総評

監督のインタビューは映画見た後読んだんですが、「シリーズのオールスター総出演のお祭りイベント的作品」ってそのまんまでした。整合性は無視して出したいキャラを全部出して決め台詞を言わせる系の映画です。つまりガチガチのファンムービーでした。だから禁書を見た人が楽しめるかどうかが肝。そう言う意味では僕は楽しめたので良作だったと思います!

え?お前敵じゃなかったの?

TV版も当麻が殴った敵が仲間になっていたりしてました。この映画も似たような感じです。ああ禁書ってこんな感じだったなあっていう気持ちになれて懐かしくなれて良かったです!

軌道エレベーター&宇宙

映画らしいスケールだったのでGoodです。宇宙と言えばNASA…もそうですが宇宙に行く手段と経緯です。一介の高校生がそう言うでかい話に関わるにはそれなりの理由付けが必要だと思うんですが、今回はめちゃくちゃ強引でした。あれよあれよとスペースシャトル的なものに乗ってぶっ飛んで、いつのまにか宇宙っていう逆ジェットコースター的展開は正直腹をかかえて笑いました。スペースシャトルに向かって飛んでくるミサイルへの対処が薬をキメて思いついたとしか思えない展開で(笑)。脚本が吉野弘幸氏です。氏といえばマクロスFですね。超展開をやらせたら右に出るものはいない(笑)氏のぶっとび脚本が最大限活かされていました!

歌と弾幕

今回は歌を歌うアイドルキャラが出てきてライブをしました。この曲とミサイルのシーンが被ってて、完全にマクロスでした(笑)。もうぶち上がりですよ。アイドル曲とミサイル弾幕は全てのアニメに入れた方がいいですよ。アイドルキャラは三澤紗千香さんが演じていました。AWの黒雪姫先輩のイメージだったので、演技が上手くなりすぎてて、正直誰??????って感じでした。いやこの三澤さん、ぶっちゃけ雨宮天さんにめちゃくちゃ声が似てます(笑)シンクロ率400%(笑)影武者だって言われても信じるレベルで似てます。公開当時は雨宮さんの知名度がほぼなかったのでこの話は有名にならなったのかな?

ステイル優遇

ネセサリウスのステイルさんに3人の超かわいい魔女っ子弟子がついて回ってました。うち1人は完全に霧雨魔●沙…。4人はアクションも良かったし、何より連携プレイがいいなって思いました。弟子が護符をまき散らしてステイルがイノケンティウスを発動するっていうシーンが個人的には目新しくて良かったですね。ステイルはししょーって呼ばれてて、弟子はすぐ窮地に陥るんですが、彼女らにししょーなりの優しさを見せるのが痺れました。ししょー呼び、いいねぇ~

 

考察記事もありました!ネーミング等めちゃくちゃ考えてあります!

gakuentoshi.hatenadiary.com

 

総括しておきます

以下の条件を満たした人におすすめです

・禁書と電磁砲もう見たぜ!

・細かいことは気にしないぜ!

・ライブ+バトルでぶち上がるぜ!

 

さて、本棚にある大人買いした禁書セット読むかぁ…(笑) 

 

記事に目次つけて見出しレベル設定しているのは本当は雑記記事にしようと思って始めた名残です。意外に長くなったのと他にすぐ書きたいことがなかったので単テーマで公開します。計画性のNASA

【けもフレ】8話PPP回はアイドル商業主義への痛烈な皮肉!

けものフレンズ8話、ペパプがライブをする話でした。

マネの上手い子がマネになる神回でしたね笑 

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https://twitter.com/kemo_anime/status/835045669593210880

 

 

 

単刀直入に言うと微妙

放送前から異質な物だと思ってました。

以下は僕のツイートです。

ほら見たことかって言うとウザいオタクですね。

予想していた僕がこう思っているんだし、今までのけものフレンズを期待していた視聴者はさぞ衝撃を受けたのではないでしょうか。

 

予測されうる反論についての反論

「二度目見たらそうでもなかったよ」

どんなに楽しんだものでも二度目はやはり刺激が弱くなります。

第一印象が良くても二度目見たらそんなによかったっけ?ってなりますし、悪くてもそんなに悪かったっけ?って思うことでしょう。

人間は同じ刺激を過小評価するんですね。それは脳の基本的な機能です。

 

 

まずなんで微妙なのか考察しておきます。

 

・かばんちゃんの知能発揮がない

かばんちゃんは頭を使うフレンズなのに、今回は傍観しているだけでした。

これまでは分業してみたり道具を使ったり文字を読んだりするかばんちゃんに、人間の自分を重ねて見ていたところがありました。

それがけものフレンズの大きなテーマの一つだった思います。

 

・ペンギンたちの個性が弱い

これまでは動物としての習性が表れていたりすると、なるほどなぁとか思って見てたんですが、今回はペンギンのフレンズが5人も出てきて違いがわからなかったのと、ペンギンとしての行動や癖がわかりにくかったです。

棒読みちゃんはサーバルちゃんだけで間に合ってます。

 

・ライブシーン

他作品と比較するつもりはないですが、これまで多くのライブシーンがあるアニメが世に出てきました。だからオタクとして僕もライブシーンには一家言ありますね。

ライブのどこが悪かったかについて書くと、「制作費が少ないからしょうがない」とか「スタッフ10人で作っているんだから限界がある」って言われそうですね。

でもけものフレンズってシンプルなCGながらも逆にそれを良さに変えてきたじゃないですか。そんな機転の良さを感じられたら良かったですね。

 

・「アイドル」が文化的すぎる

けものフレンズにアイドルは世界観として合わないと思いましたね。これまでの廃退的な感じから一転して俗っぽいというか人間的なものになってました。投擲や長距離移動、家を作る、合戦、料理をする…といった基本的な人間の行動からかけ離れた文化ですよね。浮いていました。

 

・誰得シリアス

今回のシリアスの入れ方は典型的な「誰得シリアス」でした。ふとしたことで対立して、逃げ出すキャラ、それを慰める主人公、からの和解という流れです。んーでもアイドルアニメってこういう展開が多いですよね。もしかしてけものフレンズはそういった安直なシリアスと茶番のような和解に対しての「皮肉」として8話を作ったんでしょうか?笑

  

大きくは以上ですね。

さて、こういう批判を書いてしまうと「ほならね、自分でもやってみろって話でしょ?」とか言われそうなので、

「ぼくのかんがえたさいきょうの8話」

を披露したいと思います。

 

 

かばんちゃんとサーバルちゃんは博士にもらったチケットを使いに○○ちほーに行く。

そこには寂れた水族館があった。中ではペパプがペンギンショーの準備をしていた。

それを物陰で見守るマーゲイちゃんに話を聞く。

ペンギンショーは代々やってきたが、とうとう誰も見に来てくれなくなった。このメンバーではこれがが初ショーになるが、ペパプメンバーはお客さんが来てくれないかもしれないと不安になっている。なんとかしたい、と。

サーバルちゃんはマーゲイちゃんを引っ張ってペンギンたちの所へ行く。

ペンギンたちはみんなである曲を口ずさんでいた。

その曲はかつての水族館でよく流れていたものらしい。

かばんちゃんが、「その曲を歌いながらペンギンショーをすればいいのではないですか」と提案する。

ペンギンショーに代わってライブをすることになり、必死に練習するペパプ。

マーゲイちゃんは頑張って客寄せをする。

そしてライブが始まる。ペパプは『ようこそジャパリパークへ』を歌う。

どんどんフレンズがライブに集まってくる。

おわり

 

かばんちゃんの提案で歌って踊るという文化が持ち込まれるっていうパターンならこれまでの「けものフレンズ」らしいんじゃないかなーって思います。

 

アイドル商業主義への皮肉だ!!

さて、エントリのタイトルについてです。

結局のところ、けものフレンズでアイドルをやるっていうのは、商業主義の帰結でしかないということを言いたいですね。

時代はアイドルっていうのは間違ってないですし、アイドルアニメが流行っていることは否定しようがないです。僕もラブライブ大好きです。だからどんなアニメでも歌って踊って声優を売り出してCDも買ってもらえば企画として成功しやすいよねっていうのは何も間違ってないです。しかしそのセオリー通りにアイドルを出したら、けもフレにとっては異物であり、オーパーツだったんです。そんな浮いた存在であるオーパーツに、僕は「なんでもアイドルにしておけばいいや」っていう商業主義への皮肉を感じました。

さらにそのストーリーの内容ですよね。トラウマを抱えたアイドルが逃げ出して、主人公の説得によって復帰してライブは大成功!という、まーーーアイドルものでは定番中の定番展開です。PPP回はそれを明らかに踏襲した無難なものだったはずです。ですがけものフレンズのファンはそういうものを求めていたわけではないでしょう。たとえアプリも知らず一話で切って三話あたりから周りに合わせて見始めたとしても、各人にはけものフレンズというイメージがあって、好きという気持ちがあったわけです。そのイメージの範囲外に行くことがどういう感想を導くかというのは、このエントリの前半部分に書いてあります。

そしてけものフレンズがこれだけ持てはやされている現状を見ると、PPP回のテンプレ展開の安直さが浮き彫りになった事実は全てのアイドルアニメに対して重大な示唆を与えているわけです。つまり飽きられているがアイドルという性質上大目に見て貰えていた展開が、アイドルアニメという文脈から離れた途端一切通用しなくなった…という皮肉を含んでいるんです。

だからPPP回を叩くオタクは、同時に「アイドルを盲信する自己」と向き合うべきではないかとも思うわけです(自戒)。

 

プリンセスさんかわいすぎ問題。

まあ信者に後ろから刺されても仕方ないくらいグダグダ書きましたが、8話の出来の悪さとキャラクターのかわいさという問題は別個のわけです。けものフレンズという文脈から見たら8話は異質なんですが、8話単体としてみたときのプリンセスさんは非常に僕好みのものなんですね。

コンプレックスを抱えているけどそれを隠してみんなを引っ張って頑張ってるのが大好きなんですね。ひょんなことでコンプレックスが露呈してふさぎ込んじゃうのもすごくわかります。フレンズでこういうキャラがいなかったので新鮮でした。僕はプリンセス単推しですね。

 

 

 

今回で最終的な目的地が「港」であることが明かされましたね。

港と言えば船出です。お別れENDありそうですね。