redcircle’s blog

アニメ等の感想を書きます

【アニメ】靖国神社のメタファー!?『龍の歯医者』感想と考察!

独特な設定のアニメ。

意味深な演出。

戦争と生きる意味。

いいねぇ~

 

 

 

前編・天狗虫編

龍の歯医者を見ました

龍の歯医者を見ました。少し龍の歯医者の話をしようと思います。ここからはネタバレ要素ありです。僕は龍の歯医者ってのが医龍的なドラマだと思っていたのでアニメだとわからず見ました(笑)そんなこんなで見た後に色々調べました。

まずアニメーター見本市の話をします。これはドワンゴの潤沢な資金を使って庵野秀明監督を中心としてアニメーター界隈を盛り上げようというプロジェクトです。

最初の『龍の歯医者』は舞城王太郎先生の小説のアイデアをアニメーター見本市で7分間のアニメにしたもののようです。それをさらにNHKのやばいぐらい潤沢な資金を使って1時間枠×2本立てのアニメに仕立て上げたのが、今回BSでも放送されている『龍の歯医者』のようです。(間違ってたらごめんなさい)

ストーリー

彼の国には龍が棲んでいる──
神話によれば、古の人々との契約により、龍は人を助け、人は龍を助けるという…
舞台は “龍の国”。
主人公は、国の守護神 “龍”を虫歯菌から守る新米・歯医者の野ノ子。
隣国との戦争が激化する中、ある日彼女は、龍の歯の上で気絶した敵国の少年兵を見つける。
少年の名はベル。
大きな災いの前に龍が起こすと言われる不思議な現象で、巨大な歯の中から生き返ったものだった。
自らが置かれた状況に戸惑うベル。そして彼を励まし、彼を龍の歯医者として受け入れる野ノ子。
激しい戦いに巻き込まれながら、二人はやがて自らの運命を受け入れて行くことに…
かつてない壮大なスケールで描かれる
冒険ファンタジー!

 

前編あらすじ

主人公の野ノ子は、人知を超えた力で国を守護する“龍”を虫歯菌から守る、新米の“龍の歯医者”だ。ある日、野ノ子は龍の歯の上で、敵国の少年・ベルを救い出す。戦乱のなかで命を落としたベルだったが、“黄泉帰り(よみがえり)”という現象で生き返ったのだった。自らの置かれた状況に戸惑うベル。思いがけず、ベルが“後輩”となったことで、意気込む野ノ子。しかし、“黄泉帰り”とは、大きな異変の前兆だった…。

 

後編あらすじ

新米の“龍の歯医者”野ノ子と、ふしぎな運命で野ノ子たちと出会い、見習いの歯医者となった敵国セルペナーダ育ちの少年・ベル。虫歯菌“天狗虫”の出現でむしばまれ、落下した龍の歯を追い、野ノ子とベルは、戦乱ただなかの地上へと降りたつ。彼らを追うセルペナーダの傭兵たち。そして、腕利きの歯医者でありながら、天狗虫に取り憑かれ、姿を消した柴名。壮大な物語がいよいよクライマックスへ!

NHKアニメワールド 龍の歯医者

解説と感想

脚本が榎戸洋司氏なので「やるべきことは何か」というテーマで見るのが妥当じゃないかと思います。氏が脚本を手がけたSTAR DRIVER 輝きのタクトの、タクト「やりたいこととやるべきことが一致するとき世界の声が聞こえる」というセリフが僕の中に7年くらい突き刺さっているんですが、それを思い出しましたね。

龍の歯医者は構造として、生き返った少年・ベルが少女・野ノ子と出会い、生と死を捉えなおし、自分の生きている意味を考えてエンディングを迎えるといったところでしょうか。しかしベルくんの気持ちは恋未満の何か。

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NHKアニメワールド 龍の歯医者

公式サイト舞城王太郎先生のコメントによるとこのエピソードが主人公・野ノ子の大きな物語のほぼ冒頭に位置するということですが、アニメ単体では少年・ベルくんが生まれそして死ぬというプロットなので、彼の物語として考えた方がブログで書くくらいの分量では語りやすいでしょう。

生きる意味を探すボーイ・ミーツ・ガール&リーヴ

ベルくん視点ならば典型的なボーイ・ミーツ・ガールでしょう。

(というか僕個人としては野ノ子が大好きになってしまい、「この状況で野ノ子が大好きにならないのはおかしい」というアホな恋愛脳になってしまっているだけなので、別にベルくんが恋をしていると思わない人の方が多いと思います……)

生き返った意味はもちろん生き返らせた龍にしかわからないんですが、ベルくんなりには、「自分しかできないことをして死ぬ」という意味のある最期だったんではないかと思います。戦場で敵意を持った人物が死ぬという法則を見抜いた彼は、”絶対に死なない”仇敵の前に立ちはだかり、自分に向けて拳銃を撃たせるように仕向け、間接的に仇敵を殺した…というのはそういうことです。これは決して自己犠牲的な自分に酔っているのではなく、今まで周囲に流されて生きてきた彼の決死の決断だったんだと思います。

野ノ子の変わらない態度

その度に紅潮するベルくんと、いつも自然体で接していた野ノ子は対照的でした。やはり野ノ子は、自分が何をすべきか、どう死ぬかについての運命を受け入れており、色恋という刹那的な感情に興味がなかったんだと思います。野ノ子姉さんという先輩としての立場もあったでしょう。それでいながら↓のような仕草もするし、僕は野ノ子大好きになってしまいました。

f:id:redcircle:20170314182248j:plain(配信よりキャプチャ)

関係性萌え

元気系美少女×薄幸イケメンという関係性萌えそのものの作品ですね~。ちょっとお姉さんぶってる野ノ子がかわいいです。頼りがいがあって全然ブレないので、バブみっすね(笑)

考察(妄想)

単なる妄想の場合もありますが、考察らしいことはしておこうと思います。

戦局は?

大艦巨砲主義的軍艦も出てきましたし、第二次世界大戦くらいの時代設定ですね。人種的には野ノ子側は大日本帝国、ベルくん側はアメリカを中心とした連合国です。地上戦は本土決戦です。日本は本土侵攻を受けていますがなんとか龍の力で持ちこたえているような状況です。

龍とはなんなのか?

龍は空母のメタファーですね。冒頭の軍艦が(龍に)見えない場所から攻撃されていると言っていたので、おそらく航空機を満載にした空母です。つまりこのアニメは航空母艦大日本帝国が独占し無双している世界を描いたものです。

龍の歯=靖国神社

これは一番最初に思いました。戦死した英霊が向かう場所といったら靖国神社しかないですよね。まあ今回は敵兵が靖国神社で生き返るという謎が残されていますが、より平等主義的にどんな国の兵士も靖国で会えるということなんでしょう。神官らしき人々がご神体のように”親知らず”を祀っていました。明らかに神社です。そして軍隊が戦争に利用しているところも同じです。

龍の歯医者=特攻隊??

第二次大戦で死の運命が予め決められていると言えば、まさしく特攻隊のことです。龍の歯医者は死を受け入れながら戦っているのです。これはあまり根拠がないので突っ込まないでください…

ベルくんの拳銃は何の意味が?

ベルくんの拳銃略してベル銃ですが、ベル銃は何度も重要なシーンで登場しています。特筆すべきは、後編冒頭で飛行機に乗った金髪碧眼眼鏡の女性が、ベル銃の写真を持っていた所です。気づかなかった人は見返してみてください。

女性は数十年後…と語っていたので、つまり戦後、資料としてベル銃が何らかの意味を持っていたんじゃないでしょうか。しかし僕はこの意味を読み取ることはできませんでした。まあ考察(妄想)厨に任せるといった演出意図なんでしょうが、ちょっと放任主義すぎますね。

ブランコの特殊能力は?

ベルくんの仇敵のブランコは銃弾が当たらない実質不死身状態でした。不死身キャラの定番として「死にたい」という願望があるので、ブランコも同様、死ぬために龍の”親知らず”を手に入れようとしてたのではないでしょうか。特殊能力は過去に龍にかけられた呪いか何かでしょう。アニメだけではこう妄想するしかないですね(笑)

評価

個人的評価です。

総評

まず冒頭の艦隊戦シーン、艦隊戦がやりたかっただけじゃん!

キャラクター

兵士、龍の歯医者、神官など別々の世界の住人が一堂に会したといったところです。この文化のごちゃ混ぜ感が好きな人は好きかもしれません。柴名姉さんの変身後は使徒みたいな感じになってさすがに世界観に合わないなぁと思いました。何というか、『龍の歯医者』らしいキャラクターの特徴が掴めたら良かったですね。世界観はすごい独特なので。

演出・作画

エヴァやトップ2のような旧ガイナックスの系譜です。ラストシーンはまるでエヴァ破の第八使徒撃退ですね。あと、人物のCGがめちゃくちゃ自然に動いててビビりました。アニメ技術の進歩すごい。

ストーリー

龍の歯医者という特殊な職業に付帯する特殊な倫理観や価値観があり、それに従ってストーリーが展開されていたので良かったです。

設定

設定は曖昧すぎました。煙に巻く感じがエヴァっぽいです。

 

 

総括すると、野ノ子ちゃんが可愛すぎてやばい

【中国映画】あの子を探して 体制批判すら許される人情物語とは

『あの子を探して』という1999年のチャン・イーモウ監督の映画を見ました。BSをつけたらやっていたのでたまには中国映画もいいなぁと思って見ました。個人的に監督と言えば『HERO』なんですが、これは中国映画らしい人情物語でした。

あの子を探して [DVD]

 

ストーリー

舞台は中国の農村。

水泉小学校のカオ先生が母親の看病のため、一ヶ月間、小学校を離れることになった。放っておけば、多くの生徒が家庭の事情で学校をやめてしまう。代理として村長に連れてこられたのは、13歳の少女、ウェイ・ミンジ。
中学校も出ていないミンジに、面接したカオ先生は心許なさを感じるが、子供たちに黒板を書き写させるだけの簡単なことならできるだろうと代理を任せる。報酬は50元。子供を一人も脱落させなければさらに10元。
ミンジは、生徒に自習させて教室の外で座っているだけの「授業」を始めるが、うまくいくはずもなく、次々と騒ぎが起こる。特に生徒のホエクーは、隙を見て抜け出そうとしたり、女の子の日記を盗んで騒いだりといつもミンジを困らせていた。

そんなある日、そのホエクーが突然学校にこなくなった。病気になった親の代わりに、町に出稼ぎに行ったという。脱落者を出すと報酬が減ってしまうと考えたミンジは、何とか連れ戻そうと策を巡らせるが、町を出るバス代がない。皆で話し合い、レンガを運んで金を稼ぐことになり、生徒たちも一生懸命働いてようやくミンジを送り出す。大きな町へ着くとホエクーは行方知れずだと聞く。彼女はなけなしの金をはたいて紙と筆と墨汁を買い、尋ね人のチラシを貼り出すがらちがあかない。町のテレビ局に行き、涙ながらに訴える。苦難の末、ミンジはホエクーと再会を果たす。

あの子を探して - Wikipedia

 この映画のすごいところは農村部の貧困という中国の暗部を描いておきながら検閲に引っかからなかったところだと思います。現代中国には検閲という制度があって政府が任意に創作物を公開停止にできます。日本の漫画やアニメが中国の検閲を受けたりしてよく話題になったりしていますね。監督はこれ以前に『活きる』という映画を政治的理由により放送禁止にされています。『あの子を探して』は中国政府の顔色を窺って作ったというような記述がWikipediaにあるので、規制と表現のぎりぎりのラインで作られたものだと言っていいでしょう。

ではどうしてこの農民の極貧が中国で公開され成功を収められたかというと、僕はドキュメンタリー的手法によるリアリズムと近代化イデオロギーへの配慮があったからだと思います。

リアリズム

貧困の描写が生々しいです。チョークは一日に一本しか使うことが許されていません。子供は大人に賄賂を要求します。経済難から出稼ぎに出ざるを得ない子供も描かれます。学校教育の不完全さが子供を襲います。

しかしメインの役者は皆素人です。演技力の欠片もありません。そこが農村の素朴さを強調し、映画的ではなく、一方子供達の自然な姿を描き出し、フィクション的な貧困と現実の貧困の境界を薄くしています。これが現実の貧困を殊更に抽象化し批判するようなものだったとしたら、政治的な圧力を受けていた気がします。

結局何が言いたいかというと、素人をドキュメンタリー風に撮影することで現実から乖離させ、生々しい貧困によって『おしん』のような同情を生んでいたのが批判のしにくさに繋がっているのではないかということです。

近代化イデオロギーへの配慮

この貧困と一連のトラブルが「テレビの人気番組で貧困特集をしたら、探していた子供とも再会できて、寄付金が集まって、テレビ番組の車で村に帰ることもできて、校舎も新築できて、文房具もたくさん貰えたよ。子供達には明るい未来が待ってるよ」という結末になっています。

マスメディアという体制の力を確認するようなエンディングですね。統一的イデオロギーへの配慮が感じられます。寄付をしてくれたのも結局は街に住んでいる富める人達です。貧困の実態が放送され多額の寄付が集まるという、同情的な中国人像も見え隠れします。喩えるならば、泥沼の戦いを描いたミリタリー映画で、最後に爆撃機が援軍として敵を一掃してくれて勝利…のようなものでしょう。

農村と都市部の対比が強烈なので、みんな都市に行けばいいじゃん(笑)みたいな印象を持ってしまいます。農村では皆現金主義だったのに対して、都市部では食べ物を恵んで貰えたり、大人がアドバイスしてくれたり、都市に「人情」があるという点も特筆すべきです。

かなり感動できる

…あまり穿った見方をするものではないですね。政治性は横に置いておいて、13歳の女の子が先生として働かなければならなくなって、どうすればいいか教えてくれる大人がいないのに頑張るというおしん的な展開が心を打ちました。5回くらいマジ泣きしました。

やっぱり、最初は10元のためにミンジがホエクー探しをしていたのに、だんだん先生としての責任感だったり姉のような親愛の情が生まれていくところがいいです。その過程を上手く描けていたと思います。

 

中国人留学生と農村部の貧困について話したのを思い出しました。(きみがイメージするような貧困は)ほんの一部ですよって言っていました。この映画もやはり20年くらい前のものなので、今はどうかわかりません。真実は行って自分の目で見るしかないんだろうなと思います。

【雑記】田舎の話とか プリンター買って泣いた話とか

田舎

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僕は田舎の中にある辛うじて市街地と呼べる地区で育ったんですが、中途半端な田舎ってなんも面白くないなぁと思うわけです。多分、中途半端な都会も同様に面白くないんじゃないかなぁって想像しています。だから東京への憧れもわかるし、コンビニが9時で閉まるような田舎に何かドラマがありそうな気持ちもわかります。

そんな僕ですが、中途半端な日本の田舎ってあまりにも画一化されすぎていてつまらないと思ってしまいます。中華圏のような雑多さもなく、南米のように教会を見て植民地時代に思いを馳せるようなことができるわけでもないです。電車に乗っても車窓は常に小山に遮られ、視界が開けたとしても田んぼと散村が永遠に続いています。

哲学なき西洋化というものはかくも無残な結果しか残さないんだなぁと出かける度に思います。だから地方創生の一環として観光をアピールしようという議論にはあまり賛成できません。ツーリズムというものは非日常や冒険を追い求めるものだと思うので、何の感慨も湧かない寂寞とした衰退地域に人を招くということが恥ずかしいのです。もちろんそれくらいしか道がないのはわかっています。でも、僕の故郷が「なにもない」と評されるのを見る度に、ほっといてくれとしか思わないのです。

御国自慢もたいしたものもがないです。結果として人々のアイデンティティが欠落し、哲学も失われ、国や民族への帰属に価値を求めるのかなぁと思いました。

前の自己紹介文

ネット上の人格なんてものは観測できる文字となったものが全てだと思う
本人はネット上に公開された言葉そのもの
だから自称するスペックなんてものは意味をなさない
男か女か 何歳か 童貞か なんてのは
ネット上に現れる部分以上のものを語りえないし本質ではない

そして立場と信用性を明らかにする必要があるツイートをすることはないだろう
だからそれらを知ることは無意味だとここに告げる

 

思ってることを書いたつもりなんですがさすがに何も伝わらないので今のに変えました。秘密主義よくない。

このすば

僕は異世界転生系好きなんですが、このすばはなんか違うんですよね。

別につまらないとかそういう話ではなくて、一期一話は面白かったんですよ。

二話以降は完全なギャグ系です。

転生した瞬間目的が達成されてしまって、カズマは満たされちゃったわけです。

だからあんまりはまれないのかなぁと思いました。

こういうほのぼのとした日常系を楽しめる思考回路が欲しいなぁと思った次第であります。 

プリンターを買って泣いた話

前のプリンターが壊れたので新しいCanonのプリンターを買いました。配達員さんから箱を受け取って、テーブルの上に置いたわけです。そこからぼーっとそのプリンターの箱を眺めていました。

なにかをするわけではないです。

なにかを待っていたんだと思います。

そして気づいたのが、その箱を開けてみたいという気持ちが湧いてくるのを待っていたんです。子供の頃からこういう機械や機能への興味というものは強かったように思います。新しい物を買ったら、とりあえず開けてみたり起動したりして全ての機能を確かめないことには腹の虫が収まらなかったはずです。しかしこの時の僕は、即時使うわけでもないプリンターを開けようという気持ちになれませんでした。

それがたまらなく悲しくなったんです。

僕は好奇心まで失ってしまったんじゃないかって思うと涙が止まりませんでした。

好奇心が成長と共に弱くなるなんてまあ当たり前のことだと思います。人間は記憶と共に順応していく生き物だからです。けど何かを忘れるのは、別の新しいことに注意を向けるためでもあります。

僕はその新しいことが見当たりませんでした。新しい興味でも、新しい友達でも、新しい家族でもよかったんでしょう。好奇心だけが欠落して、その穴を埋められるものは何も手に入れていなかったのです。プリンターを見て泣いたのは初めてでした。

そして、この気持ちさえもいつか薄れていくことでしょう。その時また同じような精神状態になると思うと憂鬱でなりません。

ねらー体

某匿名掲示板にずっといたんですが、そこで使われている文体がTwitterに適さないものだと思って、自戒のつもりでちょっと書きます。僕が使ってしまっている文体はこんな感じです。

・~だろ

・~だろカス

・~だな

・クソワロタ

・~じゃん

・~しろや

・やべえな

・~すぎる(~すぎて~になった構文ではない)

・マジで

・くっそイラつく

イッタランドに順応すべきだ…