2018所感

2017年の2月、卒論を書き終えた僕は卒業用件を満たしているかの確認を幾度となく繰り返していた。当時の僕は所謂留年生であり、さらなる留年は死よりも忌避されるものだったのだ。この二度目を迎えた大学四年の卒業シーズンに、かつて同級生たちが卒業していく姿を見送ったあの情けない姿を回想していた。同級生に「僕はあと一年強くてニューゲームをするんだ」と豪語して、二度目の四年生に突入するという不退転の覚悟を決めたのが最近のようだった。あの時から僕はどれだけ成長できただろうか。これが五年生を過ごした僕の永遠のテーマだったのである。

しかし現実はループものアニメの主人公のように、幾度となく繰り返した時間軸の経験則を使えるわけもなく、ただ惰性で、虚無で、怠惰に一年を浪費しただけだったのだ。果てしない無力感に襲われた。そしてその無力感を生み出した原因を僕は激しく恨んだ。思い返せば僕が留年を覚悟する遙か前に僕は就職活動をしていたが、結果は芳しくなかった。スティグマを受け、劣等感を抱いて生きていた。振り返ればあの時……と挙げていけばきりがないが、ついに思い至ったのだ。自分は悪くないと。そもそも僕がこうなった原因は、就活の時に出会い僕を受け入れなかったあの人事と企業たちなのだと。紆余曲折あり、憎しみの感情を敷衍していき、ついに日本企業と日本全体を恨むに至った。

結局2017年の3月に僕は卒業を迎え、茫漠とした希死念慮を土産に実家に戻り、正真正銘の無職となった。その後一年間虚無は続き、社会への恨み辛みを密造酒のように醸成させ、合宿をする主義者たちのように先鋭化させていった。祖国の良くないところをあらゆる側面で考察した。生産性の低さ、ディスコミュニケーション、腐った組織、非合理性、中世的な司法、封建的な権利意識、脳死した既得権益層を脳内であげつらい、劣等な列島とそこに住むザップたちという仮想敵を作り上げていった。

2018年の3月、せめてアルバイトをしろという両親からの圧力が高まり、僕は行きつけのネカフェの非正規奴隷に応募した。僕は「今まで何してきたの?」等々の質問をいかにいなしていくか考えるのに腐心し、一日中採用面接をシミュレートしていた。まるで自らと対局するスパコンだった。ある日、一つの最適解――このエネルギーで普通に働き始めた方がいい――という結論に辿り着いた。僕はついに人類を超えたのだ。ここから東京で就職活動をして働き始めるのに時間はかからなかった。元ニートが贅沢を言えるわけがなく、決まったところに決めたという感じだった。

しかし世は売り手市場。就職において新卒者は企業を選ぶ立場にあった。実は今回の就活で僕は多少の手応えを感じていた。不遜な思い上がりかもしれないが、ここを辞めたとしてもすぐに次の仕事が見つかるだろうと考えた。実際の就業中その態度を隠すことはなかったためいくつもの対立が生まれた。僕は絶対に折れない、生意気な新人だったのだ。

正規の奴隷になってまだ一年経っていないが、僕が想い描いてきた仮想敵は身近に居たと知った。僕が受けてきた理不尽は人間一人一人の思考に裏付けられている。既得権益層だけが悪いわけではない。政治家だけではなく有権者も、役所だけではなく民間も、大企業だけではなく中小も、老人だけではなく若者も。僕に為す術はないが、いかにこの小国が零落したかを後世に伝える責任はあると思う。